70歳、そして2021年へ

コロナに明け暮れした2020年から、おそらくコロナが下火になるであろう2021年を迎えた。
東京オリンピックは中止にし、コロナ終息から経済復興への道筋をつけていくべきだろう。

私も70歳になって2021年を迎えた。
何も変わってはいないが、自分の人生の終幕へ向かって、日々の歩みを意識していきたいと思い、5年連用日記をつけ始めた。
10年とも思ったが、途中で中断するのが嫌で、5年なら乗り越えていけるような気がした。

仕事は、自営の方ははかどらず、週2日程度の非常勤の仕事のみである。
これも今年3月末までの契約で終わる。

それにしても、70歳までコンピューターエンジニアの仕事を続けられるとは、思わなかった。
大学卒業してからズットであるから、50年近いキャリアとなる。
この仕事を始めたころは、パソコンなどない時代で、メインフレームという大型コンピュータのみの時代だった。
そのころは、SEは35歳まで、プログラマは30歳まで、などという限界説が囁かれていたものだ。

最近は、家で暇な時は、ひたすら走ったり歩いたり、筋トレをしたりと、体を鍛えている。
特に戸外をジョギングすると、木々の緑と広々とした景色に、癒される。
山歩きの代わりなのかもしれない。

4月からも仕事がしたいので、考えている最中である。

 

 

 

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読書中 – セーヌ左岸

調布の古本屋の閉店セールで買った1冊である。

なんとなくロマンチックな感じのタイトルなので、文学的な味わいを期待していたが、読んでみるとそうではなかった。1935年頃から1950年頃までのフランス(主にパリ)が舞台である。
しかも作者は当時現場に居合わせたわけではなく、戦後、フランスに留学したアメリカ人だ。
当時の人々の記録、日記、回想をまとめたものだ。

leftbank_503つの期間に分けている。
1935年前後からはナチスドイツの脅威に対抗する人民戦線の時代。
ここでは、アンドレ・マルローとアンドレ・ジイドが主役か。
1940年からは、ナチスドイツの占領下で、「協力者と抵抗者」がテーマか。
「誰もが協力者であり、誰もが抵抗者であった」という指摘は重い。
1945年からは、復興と冷戦の時代で、カミュ、サルトル、ボーヴォアールが主役か。

これらの時代の前編として、セーヌ川左岸のカフェの紹介と、そこに集まる芸術家、文学者の交流が描かれている。

作者はその場に居合わせたわけではないので、記録として読む本だろう。

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お帰り

今朝、6時前に庭に出てみると、キジバトの雛が巣立った今ではもぬけの殻の巣に、若いキジバトが座り込んでいた。
私が現れたので、落ち着かなげにもじもじしていたが、羽根を広げるのに枝が邪魔にならない場所までピョンピョンと枝を飛び移り、羽ばたいて去っていった。

それがここで巣立ったキジバトか確かめようもないが、もしそうなら帰巣本能ということだろうか。

妻にそれを伝えると、私と同様、うれしそうだった。

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巣立ちの日

7月だったろうか。
キジバトが小枝をわが家のひさしの上に運んできた。
そこに巣を作られてはかなわないので、追っ払わざるをえなかった。
どうやらあきらめたかな、と思っていると、また小枝をくわえてどこかに行き来し始めた。
わが家のとねりこの小枝をとっていくのは一向にかまわないので、他に巣を作り始めたかなと思っていた。

7月だったろうか、キジバトが庭のとねりこの木に居続け始めたのに気付いた。
「別宅を設けたのかな。」
「かみさんに追い出されたのかな」
などと、妻と冗談を言っていた。
どうやら、つがいのキジバトが交互に来ているようだった。

8月になってからだろうか、キジバトがいなくなった。
「本宅に戻っていったのかな」と噂していると、どうも様子がおかしいので、2階のベランダから観察してみた。
すると何やら毛むくじゃらのものが動いている。
そこで初めて親バトが交代で卵を温めていたのに気づいた。
二羽の雛が誕生したのだった。

親バトはせっせと餌を運び、雛がくちばしをのばしているのが見えた。
こうなると、自分の孫のようで、無事に巣立ってくれることを祈るのみ。
少しずつ雛は大きくなっていった。

ある朝、見上げると巣はもぬけの殻である。
下の枝が折れていた。
「これは落ちてしまったのか」
「それとも猫にやられてしまったのか」
と心配になった。
あちこち探すと、横の通路に幼いキジバトがうろうろしているのを見つけた。
ほっとするが、もう一羽が見当たらない。
猫に見つからないようにと、心配した。
親らしいキジバトが探しに来ていたらしかったが、子バトは歩いて離れた場所に来ていたので、すぐには会えなかったようだ。
そのうち子バトもいなくなったので、無事に巣立って行ってくれたようだ。

それからしばらくの間は、カラの巣を見上げては、ため息をついていた。
最近、時折、若い二羽のキジバトが向かいの電線に止まってこちらを見ているようだ。
それがこの巣を巣立っていったキジバトか見分けがつかないが、
「お礼を言いに来ているんじゃない」と妻と話している。

 

 

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読書中 – バックウォルドの世界

バックウォルドを初めて読んだのは、はるか昔、もしかしたら学生の時かもしれない。
1冊持っていたが、そのうちどこかにいってしまった。
十数年前に、お茶の水駅の前にある(今もあるだろうか?)古本屋で100円のワゴンに4冊あるのを発見した。
少し汚れていたが、安いので購入した。
折を見て拾い読みをしていたが、最近、すべて読みたくなり、2巻目、3巻目と読了し、1巻目を読んでいる最中だ。

少し硬い本を読む前に、気持ちをほぐしたくて、バックウォルドを読んでいる。
今は「セーヌ左岸」という本を読んでいるので、その前に「だれがコロンブスを発見したか」の1、2編に目を通し、ウォームアップというか楽しんでいる。

00100lrPORTRAIT_00100_BURST20200907163902056_COVER2ちなみに全巻のタイトルは、
1.だれがコロンブスを発見したか
2.そして誰も笑わなくなった
3.嘘だといってよ、ビリー
4.ゴッドファザーは手持ち無沙汰

面白かったのは、ウォーターゲート事件のニクソン時代の2巻目だろうか。
3巻目はカーターの時代でタイトルのビリーはカーターの弟である。
1巻目はフランス滞在時代のあまり面白くない長めのコラムからケネディの時代である。
タイトルは、「コロンブスのアメリカ大陸発見」を先住民の目で皮肉ったというところか。

私にとっては、頭をほぐす格好のコラムだ。
難点は、次に読む本の内容を「これはどこまで本当か」と疑り深くなることだろう。

 

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