カテゴリー別アーカイブ: North America

in L.A.

このホテルは3度目だろうか。
最初は、Days Innというモテルチェーンだったと思う。
今は、Inn Towne Hotelというスペイン語系の名前になっていた。
スタッフも中南米の人が多く、メキシコ方面から車で泊りに来る宿のようだ。

この通りには大きなホテルもあるのだが、このあたりは人通りが少ない。
前に来た時は、いわゆるロス暴動の後で、街中には焼かれた建物の跡があったりした。

歩き回っていると、Broadway通りという、ずいぶんにぎやかな通りに出くわした。
市場のようなものもあり、中南米系の人々の商店街のようだ。
その通りの端に小さな旅行社が軒を連ねている一角があった。
店のウィンドウに張ってあるビラを見ると、中南米方面のキップを扱っているようだ。
中南米から来ている人々のための帰省客向けのチケット屋というところか。
価格も安そうなので、そのうちの一軒に入った。

親切な店員に相談し、LAからグアテマラ往復、グアテマラからコスタリカ往復、コスタリカからコロンビア往復の6枚のチケットを 購入した。
価格も安く、フリーのチケットなので、日程は自由だ。

夕食はホテルから通りを渡った食堂に入った。
近くの労働者がカウンターで野菜スティックをかじったりする気楽な店だ。
わたしもカウンターで、T-bone steakを注文した。

翌日は、高速バスでサンタモニカに行った。
2度目か3度目なので、気ままに海岸をぶらつき、海水パンツに着替えて砂浜に寝転んだ。
ホテルのバスタオルを借用してきている。
中南米で日本人と思われたくないので、肌を焼いておくつもりだった。
じっと海を眺めていると、異国にいるのが嘘のようだ。

ホテルをチェックアウトしたのは、午後だったろうか。
深夜のグアテマラ行きに乗るつもりで、空港へ向かった。

LAの食堂の写真

LAの食堂

Brother in Toronto

トロントでは、にぎやかなYoung通りとBloor通りの交差点の近くに宿泊していた。

そこは実用的なホテルで、2室とキッチンがあり、簡単な自炊もできるようになっていた。
朝食は無料で、食べ放題のベーグルと、飲み物が付いていた。
ここに1ヶ月半ほど滞在した。

よく食事したのは、Young通りのBrotherという店だ。
街の食堂といったところで、値段も安い。
いつしか、これはフランス人の店と思うようになったが、なぜかわからない。

少しがらっぱち気味ののお姉さんが給仕をしてくれた。
最初に入った時、食事を注文すると「飲み物は?」と聞かれた。
特に欲しくなかったので、水でいいよというと、私の顔をまじまじとみて「水だって!」と叫んだ。
わたしはあわてて、飲み物も注文した。
あの「Water!」という声には、確かに威嚇が含まれていた。
これ以来、彼女はまず水を出してきたが、わたしも飲み物を注文するのを忘れなかった。

わたしがよく食べたのは、today’s spcial、つまり本日の定食だ。
ダブルポークチョップなんてのは、どでかいポークチョップが2枚、皿をはみ出していた。
わたしなどは、添え物のマッシュポテトを食べただけで、腹が膨れてしまった。
メインのポークチョップは、格闘して食べたものだ。

たまには違うのを食べたくなり、メニューを見てアメリカンステーキを頼んだ。
お姉さんは、「アメリカンステーキだって!」と叫んだ。
そこには確かに「そんなもの食うんじゃないよ!」という 思いやり(?)があった。
わたしはあわててtoday’s specialを頼むと、よしよしという顔をした。

とてもいい娘さんだったがあまり男好きのするタイプではなかった。
少し婚期が遅れている気味もあった。

わたしの体調が悪い時は、「Are you OK?」と心配してくれた。
ある時、わたしの隣の席に麗しいレディが座った。
彼女は荷物を置いて立つ時に、じっと私を見下ろして、にこやかに何か言ってから手洗いに向かった。
お姉さんが「彼女は何を言ったんだい?」と心配してくれたが、わたしにもわからなかった。
たぶん、「私の荷物に触らないでね」という意味のことを、笑顔でやんわり言ったのだと思う。

それ以来、トロントへは行っていない。
食堂のお姉さんは、無事にお嫁にいけただろうか。

Mundial

その年、アメリカでサッカーのワールドカップが開かれていた。

サンホセの繁華街の路上では、電気店のテレビに人々が群がって見ていた。
広場では、人々が輪になってボ-ルのリフティングをしているのをよく見かけた。
通りすがりの人が気軽に出たり入ったりしていたようだ。
女の子もやっていたが、あまりうまくはなかった。

ボゴタでは軽食や飲み物の昔ながらの店が多い。
そこを覗くとテレビを観戦する人々で満員だった。
昼の休憩時間には、労働者がボールを蹴りあっていた。
街ではサッカーボールの絵と、Mundial(ワールドカップ)という単語があちこちに書かれていた。
コロンビアは予選リーグの突破を期待されていた。

帰途、サンフランシスコに滞在していた時だ。
ホテルのテレビが、コロンビアのオウンゴールを繰り返し放映していた。
その異常さに気付き、注意して見ると、オウンゴールした選手がコロンビアに帰国後殺されたようだ。
そのオウンゴールで試合に負けたとはいえ、射殺とは・・・。
賭けに負けたマフィアのはらいせだったようだ。
数年前には、大統領選挙の候補者が演壇で麻薬マフィアに射殺された国だ。

コロンビアの人々の、人なつっこい顔を思い出していた。

サンフランシスコのピアの写真

サンフランシスコのピア

night flight from L.A.

グアテマラの古都アンティグア

夜のロサンジェルス空港。
グアテマラ行きの便を待つ待合室は、混むというほどではないが、にぎわいに満ちていた。
ほとんどが中米の人のようだった。
そこでひとり待っているラテン系の女性が目を引いた。
ネイティブの素朴な美しさを備えていた。
そばでは別な家族が老人を囲んで談笑していた。

出発の時が近づき、その老人が突然泣き出した。
老人はひとり旅立っていくのか、見送りの家族と別れを惜しんでいたようだ。
まわりの人々は何事かと思い、集まってきた。
彼らは、勝手にしゃべり合い、見ず知らずの老人を慰めていた。
あの美しい女性までやってきて、近所の老人の世話でもするように慰めていた。

待合室は、ひと時、彼らの故郷となったようだ。

中米の人々にとって、アメリカは出稼ぎの国かもしれない。
アメリかに住む家族に故郷から会いに来た老人が、ひとり故郷に戻る光景だろうか。

見ず知らずの老人を慰める人々の心は、天使のように見えた。